熊野古道を行く 十津川村

熊野古道を行く その1 十津川村  

2003年(平成15年 60歳)2月20日

今回歩いたコース

地図-1

■ 案内看板にあった文章の要旨です ■

熊野路は、浄土への道であった。
熊野の神々にあこがれた人々が、たぎる信仰を胸に山を越え、海沿いを
よぎって行った。

それは皇族から庶民まで、平安時代から近代にかけて、果てしなく続いた
「蟻の熊野詣」であった。

この熊野路の名を高めたものは、平安の中ごろから鎌倉後半にかけての
熊野御幸だった。

延喜7年(西暦908年)の宇多法皇から、弘安4年(西暦1282年)
鎌倉幕府の時代までにわたり、
亀山天皇までの間、実に374年間に100回以上の行幸であったといわれている。

往復の日数は20日から一ヶ月、一行の人数は最大で814人、最小の時で49人程で
あった。

庶民の巡礼年間通行人数は、熊野年代記に享和元年(11代将軍徳川家斉の頃)の
記録として、3万人の数字があります。

単純に平均すると一日あたり82人。行く人・帰る人を考えると160人の通過人数となります。

1801年~1825年までの25年間の平均は、年間16,000人程度と記録が
残っているそうです。

2月20日

千歳出発の飛行機が1時間遅れたので、関西空港を11時48分に出発する。

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1時間30分くらい、紀伊半島の内陸を進む。
前日でも降ったのか、道路の周囲は雪化粧している。

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道路脇のあちこちに、融雪用の塩化カルシウムが置いてある。

谷瀬の吊橋。

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この地域には随所に吊橋があるが、この橋が一番大きいらしく
観光の名所になっているが、現在も生活道路として使われている。

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この日は、ちらちらと雪まじりの天候で、さらに風も強い。
時々立ち止まりながらも、歩いてみた。

寒っい!

この近辺の道路は、国道であるが普通乗用車でも、対向車と交差出来ないような
道幅がずーっと続く。拡幅できるような地形ではないね。
一部で巨大な橋脚を立てて、道作りが行われていた。

十津川村のホテル吉乃屋。

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このホテル前までの道もとても狭く、大型バスならここまで来られないね。

ダム湖のほとりに建っていて、天然温泉を売り物にしていた。
イイネ!!

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